高野山へ行ってきました
いつもメールをシェアしていただいて、有難うございます。
さまざまなメールを読んで思わず泣いてしまったり、立ち止まって考えたりしています。
主人の有休消化をかねて家族で3月25,26,27日と二泊三日で高野山へ行ってきました。
一時はこういう時期だから旅行は控えようか、という話になったのですが、相澤さんのメールにもあったように、私たち夫婦は「こういうときだからこそ、いろんなところへお金を落としたほうがいい」という結論になりました。
高野山へ着くと大きな樹木の上や植え込みに真っ白な雪が残っていました。宿坊の僧侶によると二日前に降った雪が残っているとのことでした。
初日は宿坊についてまず写経をしました。
三浦さんが京都で写経をした、とおっしゃっていたのが印象的で是非私も、と思ったのですが、お部屋の炬燵の上で周囲を4歳児が駆け巡る環境の中、あまり集中はできませんでした・・。
そのあと大伽藍のほうへお散歩がてら歩いていきました。
いろんな場所に地震の早期復興祈願の紙がかかっていました。
二日目は朝6時10分からの勤行にでました。
暗く寒い本堂の中で荘厳な雰囲気の中勤行が行われました。
4歳の息子がどこまでもつか、ぐずったら外にでようと思ったのですが、やはり子どもも雰囲気がわかるのか、寝ることもなく静かにお経をきいていました。焼香のときも興味津々で親の真似をしていました。
その姿を見て思い出したのは、今では全く感じませんが生まれてすぐの息子をみて「お坊さんみたい」と感じたことでした。慣れているのかもしれませんね。
その後、奥の院まで往復6キロを歩きました。
空海が唐に渡ったとき高野山付近の丹生都秘比売を信仰している丹生族の財力でほぼ私費留学だったらしい、と本で読んで興味があった神社でした。
大変力のある神社だと感じました。
三日目の朝に阿息観瞑想をしました。
ヨガ合宿でさせていただいた阿字観瞑想を行う前段階だそうです。
梵字のア(字がでないのですが)は大日如来をあらわすそうで、吐く息吸う息にひたすら命の本源であるアの声を唱えて天地と呼吸を通わせ宇宙との一体感を得る瞑想法だそうです。
はじめは教えてくださった副住職と一緒にアの音を出し、自分のリズムへ、最終的には無音でアを唱えました。
高野山は地震に対する祈祷を行ってはいますが、僧侶の方々は淡々と日々やるべきことをなさっている印象でした。
私は真言宗ではないのですが、死んだあとにこれだけ祈ってくれるなら真言宗いいな~と思いました。なんだか無事成仏できそうです。
僧侶の方々も優しくきびきびとしてらっしゃって美しいたたずまいでした。
高野山から帰ってきた後、お肉大好きな主人が非常に感化されたようで「無駄な殺生はやめよう」と、家の食事にお魚やお肉を出さなくてもいいと言い出しました。
高野山の意外な影響力にびっくりしました。
それではまたクラスで先生にお会いできるのを楽しみにしております。
山本ヨガ研究所 19期養成講座 卒業生 工藤啓子